かれ ―秘密の川の思い出―

 小学校4年生の頃だったと思う。友達の一人が小声で「秘密の場所を見つけた」と言ってきた。「ものすごくきれいな水が流れる川で魚がいっぱいいる。」というのだ。当時、『釣りキチ三平』という漫画が小学生の間で人気があったこともあって、釣りが大流行していた。御多分にもれず、僕も釣りが好きだった。『魚がいっぱいいる美しい川』というのは当時の僕たちには非常に魅力的に感じた。彼が言うにはその場所にたどりつくためには自転車を二時間は漕がなければならないという。小学生にとってみれば大冒険だ。

「行こう!」

 彼がその秘密をあかした僕を含む仲良しグループは川へ行くということを親にも伏せて(何しろ秘密だから!)、日曜日に彼を道先案内人として冒険することにした。

 その日がきた。天気も晴れで、冒険には悪くない。全員、自転車にのって約束の時間に、きっちりと集合した。意気揚々と出発だ。とにかく長時間、自転車をこがなくてはいけないということで、釣り具は持参しないことにした。張り切って先頭を突っ走る友達の背中を僕たちは必死でおいかけた。

 確かにその場所は遠かった。「まだか?」、「道、間違えていないか?」と何度か聞いたが、「まだまだ。」とそのたびに友達は嬉しそうに答えた。いくつかの街を通り過ぎ、たどりついた場所は僕らが想像していたような川ではなかった。住宅がたちならぶ郊外の町中を流れるコンクリートで両岸を固められた家の近くのどぶ川と同じような形をした川だった。僕らは「ここか?」と失望の声をあげた。しかし、この場所を『発見』した彼は自信満々である。僕らはしぶしぶ、彼がいる橋の上に行った。

 橋の上からみるその川は確かに彼の言う通り澄んだ水が流れていた。そして、見慣れない魚がたくさん泳いでいた。魚たちは群れをなして太陽の光をキラキラと反射しながら泳いでいた。僕らはすぐに興奮して川を見つめた。「どうだ。」秘密の場所を見つけた彼は自慢げに言った。「水、きれいやなあ。」「あの魚は何かな?フナでもオイカワでもないな。」フナやオイカワは近所の川でもよく見る。形がどうも違う。「アユと違うかな?」「アユはあんなふうに群れないのと違うか。」みんな釣りの勉強をしているので魚には詳しいはずなのだが、橋の上から見る魚が何か同定できなかった。

 とにかく僕たちは澄みきった川と魚の群れに大満足して家路についた。「秘密の川は遠すぎるので、やはり釣りに行くには不向きだなあ。」と帰り道でみんなで話し合った。釣りに一番詳しい友達が「見える魚は釣りにくいというからあれだけ水が澄んでいたら、かえって釣ることは難しいのではないかなあ。」と意見した。帰りは行きと比べてずいぶん、家が近いような気がした。

 それからしばらく経ってからだと思う。仲の良かった友人が引越しすることになった。彼も釣りが好きだったので、引っ越す前に『秘密の川』までいっしょに行きたいと思った。彼は件の仲良しグループのメンバーではなかったので、まだ秘密の川を知らなかった。きっと見たら喜ぶぞと思った。川を発見した友達に許可を得て(しぶしぶ許してくれた。)、引っ越しする友達を誘った。しかし、彼は引っ越し前で忙しくて、それどころではないと乗り気でなかった。そうこうしているうちに彼のお別れ会があって、友達はあっけなく引っ越して行った。

 なんだかさみしかった。大切なことをやり残したような気分になっていた僕は一人で秘密の川に行くことにした。自転車を必死で漕いで、川に着いた。わくわくして橋の上から川を覗いた。しかし、川の水は少しも澄んでいなかった。前日の雨のせいだろう。濁った水が勢いよく流れていた。魚が見えるような状況ではなかった。引っ越して行った友達といっしょに来たりしなくてよかったのかもしれないなあと思った。

 川を見たらとりあえず水を見てチェックする。今は環境の研究を仕事としているから、僕にとってそれは当たり前の行動なのだけど、そういえば僕は小学生のころから同じようなことをしていたなあとふと思った。そして、上に書いたような思い出を頭の底から引きずりだしてきた。

 記憶はところどころ間違えているのかもしれない。でも、小学生だった僕が橋の上からみた秘密の川の景色は今でもはっきりと思い出せる。