ろ ―猫と研究者―

 しばらく前のことだ。

 ある研究者の定年退職のお祝いを兼ねたシンポジウムがあった。その人は環境分析の専門家で、彼の長年の経験談を講演するという。ずっと彼にはお世話になってきたので、いろんな雑用をほったらかしにして、シンポジウムに馳せ参じた。

 環境の分析は難しい。いろいろな細かい技術がいる。さらに試料により、そうした技術をいかにして用いるかということを臨機応変に考えていく必要がある。面倒くさい手作業がいくつもある。その作業で誤差をできるだけ少なくするように努力するのはもちろん、誤差がどの程度なのかということも示していく必要がある。その人はそうした環境分析にずっと関わり続け、いろいろなテクニックを産み出してきた。

 彼の講演は落ち着いた淡々としたものだった。どちらかといえば、小声で恥ずかしそうに話をされるのだが、迫力があった。その迫力は「少しでも正確な環境分析値を得て、その数値をもとに環境をよりよいものにしていくのだ」という彼の一貫した強い哲学からくるものだと思った。

 彼は福島の原子力発電所事故の直後に現地入りし、放射線の調査を行い、現地の人々に放射線の状況を伝えてまわったそうだ。講演後の飲み会で、

「よく現地に行かれましたね。」

と言ったら

「神戸の地震の時、何もできなかったのが今でもつらく思っているのです。そのせいというわけではないけど、福島の事故では僕が役に立てる場だと思ったのですよ。」

と静かに答えた。彼はいつもそうだ。決して激することなく、冷静に仕事をどんどん進めていく。他人にも自分にも厳しく、環境問題に真剣に取り組み、そのために環境分析の正確さを求める。僕も幾度、彼から厳しいアドバイスを受けただろう。環境の世界に彼のようなプロフェッショナルがいる。そのことは同じ分野で働いている人間の一人として誇りだった。

 ところで、この人はいつもお酒を飲むと身体中から力が抜けて、ふにゃふにゃした感じになる。そして、猫の話を始める。無類の猫好きだ。かなりお酒を飲まれたようだったので

「今日は猫の話は無しですか?」

と声をかけた。すると彼は

「講演のスライドのバックの奥の方にウチの猫の姿があったのに気がつかなかった?だめだねえ。もっと観察力をみがかないといい分析できませんよ。」

とにやにや笑って言った。

 最近、この方が亡くなられたことを耳にした。

 いつも仕事のときは厳しい表情だったのに、僕が思い出すのはいっしょにお酒を飲んだときに見せられた柔らかい笑顔ばかりだった。