はす ―散歩―
ずっとコンピューターに向かって論文を書いていた。ふと気がつくと昼飯時だ。かなり仕事もはかどったし、のんびりと散歩がてら外に出て、どこかのお店で飯を食べよう。職場のまわりは田畑が広がっている。ここには昔ながらのこの国の風景がそこかしこに残っている。ゆっくりと田畑の間を歩くのは久しぶりだ。適当な店はなかなか見つからない。気がつくとかなりの遠出になってしまった。ふと見るとハス畑があり、花がいくつか咲いていたので覗いてみることにした。畑にはられた水の中には、おたまじゃくしが溢れ、タニシがうごめいていた。長い足を広げ、クイックイッと泳いでいるのはマツモムシだろうか。これは捕まえる時、気をつけないと噛まれて痛いやつだ。すぐ横の溝にはドジョウが泳いでいる。こんなに水の中の生き物を見るのも久しぶりだった。僕は子供のころのことを思い出していた。
子供のころ、当たり前に身近にあった自然が僕の遊び場だった。沼、池、田んぼ、川、森。いろんなところに網をかついで自転車を走らせて行った。ザリガニやタウナギやメダカやカエルやフナやカブトムシやカナブンを必死で追いかけていた。息を殺して生き物を見つける。つかまえる。生き物の不思議に触れたときの感動、なかなか捕まえられなかった生き物を手にしたときの喜び、その感触、それらは幼い僕にとって何物にも代えがたいものであった。もちろん、毒蛾のせいで皮膚が荒れたり、蛇にかまれそうになったり、自然は危険を子供に容赦なく与える。自然は怖くて厳しいものだった。そうしたことも含めて自然はいろいろな経験を子供に与え、子供を育てる。命の大切さや生き延びることの大変さを自然は子供に教えてくれる。
今、都会に住む少年や少女には身近な自然が無い。そして、彼らは自然と触れ合う興奮をあまり知らないまま、自然を感じる経験をしないまま、成長していく。しかし、スマートフォンに触れていても感じられないものが見えないものが自然にはたくさんある。
僕が熱心にハス畑を見ていると何を見ているのか気になったのだろうか、幼稚園に通っているくらいの子供たちが僕の周りにやってきた。特に彼らにとって珍しいものを僕が見ているわけではないと知り、彼らは急速に僕に興味が無くなったようだ。その中の一人の男の子がハスの葉の上の水玉が風でコロコロと転がるのを見つけ、『すごい!』と声を上げた。(なお、ハスの葉が水滴をはじく現象をロータス効果という。ハスの葉の表面の細かい毛が水をはじく役割を果たしている。)他の子供たちもつられてか嬉しそうに歓声を上げた。
子供たちといっしょにハスの葉の上の水滴の動きを目で追っていると自分がふと子供に戻ったような気がした。
それはとても幸せな感覚だった。