そら ―星を見つめる―
高校時代、地学部というクラブに所属していた。最初はそれほど乗り気でなく、なんとなく入部したのだが、活動をはじめてみるとクラブの面々、とくに先輩方が個性に溢れていて楽しくて仕方がない。すぐに活動の日が待ち遠しくなった。
このクラブは化石採集や天体観測をするのが主な活動内容なのだが、そうした野外活動に行く日は月に数回程度で通常は放課後、地学教室に集まりトランプをしたり、お菓子を食べて雑談にふけったりしていた。中には勉強を夢中になってしている人やラジオの天気情報を聞いて天気図を書く人やロック音楽を聴きながら洋楽の薀蓄を語る人などいろんな人がいた。バラバラで自由な雰囲気がなんとも居心地がよかった。僕はといえば、トランプを飽きもせず毎日やっていた。
天体観測は楽しかった。肉眼で星座を追うのも望遠鏡で小さな星雲や星団を見るのも静かな喜びがあったが、僕が一番好きだったのは双眼鏡で星を見ることだった。双眼鏡での星の見方は全部、先輩たちから教わった。最初は脇をしめて双眼鏡がぶれないよう、自分の目標とする場所に双眼鏡を動かせるように練習する。双眼鏡の扱いに慣れてくるといよいよ本番だ。まずは星や星雲、星団の地図である星図を目に焼き付ける。次に双眼鏡で覚えた場所を覗き、目当ての星雲や星団の場所を見る。星雲や星団を視野の真ん中にしたまま目線を中心から少しずらすとぼんやりと雲のような白い光が浮かんでくることがあった。それはかすかではかない輝きでたまらなく美しかった。目は対象物を真正面から見るより少し横側からみたほうが弱い光を検出しやすい構造になっているらしい。ラジオの音楽を聴きながら、僕たちは夜通し星を見ていた。ラジオはヒットソングを飽きもせず流していた。マイケル・ジャクソンやマドンナの曲が繰り返しかかっていた。そのころの歌は今でもだいたいメロディーを口ずさめると思う。
観測で閉口したのは、夏場になると無数の蚊に攻撃されるということだ。できるだけ周囲に民家の無い、それでいて視野が広く確保できる場所、ということで高校から電車で30分くらい行ったところにある河川敷がクラブ伝統の観測場所だった。若い人が自分の住処にしずしずと望遠鏡や双眼鏡を手に星を見にやってくる。星を見ている人は無防備だ。蚊にとってはカモがネギをしょってやってきたようなものであろう。この蚊の問題に対処すべく僕の同期の部員は蚊取り線香を大量に買い込み、観測地の周りにいくつも蚊取り線香を並べ、蚊が寄ってこないようにしようとした。しかし、いかんせんオープンスペースで蚊取り線香の力には限界がある。多少の効果しか見られなかった。そこで、次に彼が取った手は蚊取り線香の全面に火をライターでつけ、多量の煙を排出させるという作戦だった。これは効果があったが、煙で星がよく見えなくなると先輩からクレームがついた。
高校時代、僕が地学部のメンバー以外で仲が良かったのはどうしてか剣道部の面々だった。剣道部には愉快な奴が多かった。カンフーが大好きで、いつも周りの人をカンフーの練習相手に使うM君、何をするにものんびりで超マイペースなK君(彼の得意技は稲妻の小手面で、どうしてか竹刀での打撃のあと、遅れて右足が床を踏みつける音がするのだ。)など個性豊かなメンバーがそろっていた。僕が特に仲良くなったのは独特のユーモアのセンスをもったU君だった。U君とは高校三年生のとき、クラスがいっしょになった。僕らは休み時間ごとに廊下に出ては冗談を言い合って笑い転げていた。彼は成績優秀で大学を現役合格した。僕は彼と同じ大学を受験したが、不合格となり浪人した。翌年の入学試験前、U君から年賀状が届いた。「どないしちょるか。きばりすぎんようにな。」と、一見ふさげているようで全文を読むとものすごく文面に気を使ったのが感じられる年賀状だった。僕は彼の年賀状を読んで力を得て、前年不合格となった大学に合格した。合格発表の結果を見て、真っ先にU君に「君の後輩になったぞ。」と報告した。U君は本当に喜んでくれた。
同じ学部だったということもあり、大学でもU君とはよく会った。僕が二年生になった時だったと思う。二人でお酒を飲みに行くことになった。彼はバイクが大好きで、会うといつもバイクの話をしてくれたが、その時は熱くデビッド・ボウイというミュージシャンについて語り出した。彼が音楽に興味があることすら知らなかった僕は少し驚いた。U君はデビッド・ボウイの「スペースオディッティ」という曲はすごいと力説した。「君は地学部出身なのだからあの曲は聴かなくてはいけない。」と強く薦めてきた。
せっかくのU君の推薦だということで、僕はそのレコードを買って聴いてみた。それは宇宙飛行士が宇宙空間に取り残され、絶望と孤独の中、浮遊するという曲だった。こんな歌があるのだと衝撃を受けた。
大学生になっても僕は高校の地学部の後輩たちの観測に顔を出した。後輩たちに会うのが楽しかったということもあるが、星をぼんやり見る時間を取りたかった。そのことは自分にとってとても大切なことのように思えた。もちろん単純に星も見るのが大好きだったというのが一番の理由である。
星の見えやすさに大きな影響を与えるものとして、まずは街の灯りが挙げられる。山奥で星空を見ると、このことが如実にわかる。都市のある方角の空が真夜中でもぼんやりと薄明るく、星が見えにくいのだ。電気というものがどれほど、都市で消費されているかということが実感できる。
次に大気がどれほどきれいかという点も重要であると考えられる。近年、ニュースでよく取り上げられるPM2.5(PMというのは大気微粒子(particulate matter)の略である。“2.5”というのは2.5 ㎛以下の大気中の微粒子という説明がされるときがあるが、正確には2.5 ㎛の大気粉塵を50%除去するフィルターを通過した微粒子のことを言う。)などの大気微粒子が空にたくさんあれば、星は見えにくくなるだろうと予想される。夜空を見るのが大好きだからという理由からではないのだが、大気微粒子について研究を行ったことがあるので、紹介したい。
ニュースなどでPM2.5がどうしてクローズアップされるかというと、大気微粒子の中でも微小なものはそれを人間が吸引したとき、肺の奥まで入り込み、様々な悪影響を与えると考えられているからである。そこで、日本ではPM2.5の大気中存在量を測定し、その値からどのように対応すべきかという指針を環境省が出している。なお、環境基準は『1年平均値15 ㎍/m3以下かつ1日平均値 35 ㎍/m3以下』と設定されている。
すなわち、大気微粒子による汚染については、PM2.5の量がどの程度あるか、どの程度、体内に吸い込む可能性があるかという点から評価をしている。ところが、大気微粒子については、吸い込んだ微粒子が肺の奥に入り込み、残存することが毒性に関係しているという説が提唱されている。すなわち、肺胞の中に留まり続ける大気微粒子は肺胞に対して長期間にわたって「悪さ」をし、そのことが健康影響につながるという可能性があるということだ。それなら、吸い込んだ大気微粒子がどれくらい身体の中に残存するのかという点でも大気微粒子を評価したほうがいいのではないだろうか?大気微粒子といっても細かい自然の砂が舞い上がったものや発がん性などを有することが知られているディーゼル排ガス中に含まれる微粒子など様々なものがある。それらをいっしょくたにして量の大小で健康への影響を評価するのは少し無理があるのではないだろうか?量だけでなく質でも大気微粒子を評価したほうがいいのではないか?僕はそんなふうに考えた。
では、どのようにしたら大気微粒子の肺胞への残存性を測定することができるだろう。肺胞の表面には細胞膜がある。この細胞膜を模した膜(脂質二重層)を作り、その細胞膜のモデルに種々の発生源から出た大気微粒子を懸濁させた液を流し、脂質二重層と大気微粒子がどの程度、相互作用をするか?微粒子が脂質二重層にどれだけ残存するか?を特別な分析手法を用いて観測した。
大気微粒子の環境標準試料(ディーゼル微粒子、岩石由来の微粒子など)について、肺胞表面の細胞膜モデルとの間の相互作用について測定を行った結果、細胞膜モデルの脂質二重層と大気微粒子の間の相互作用の強さが大気微粒子の種類により異なることが分かった。ディーゼル微粒子は脂質二重層に強く相互作用し、くっついたらなかなか離れない。一方、岩石由来の微粒子は脂質二重層にくっついてもすぐに脂質二重層から解離するという結果が得られた。
この手法は大気微粒子を量的に評価するのではなく、質的に評価する手法であると言える。また、これまで目に見えなかった大気微粒子の体内における動きをモデルを用いて見えるようにするものであり、大気由来で体内に侵入した様々な汚染物質の挙動を考える上でもこの手法は役立つのではないかと思っている。
ある秋の日だった。僕は大阪の北の方にある大学の文化祭に遊びに行った。山の中にある大学で、校庭の山の斜面に芝生がはってあった。僕はなんだか文化祭の雰囲気になじめず、その喧騒に疲れ、そこに座っていた。すると急に空に不思議な虹が出た。僕の頭の上を虹が幾重も円状に輝いていた。虹のはしっこの中に入ったのかなあと思った。不思議な現象があるものだと感心した。文化祭が終わり、帰宅した僕に悲しい知らせが待っていた。
U君がバイクの事故で、死んでしまったというのだ。
僕は部屋に閉じこもり、声をあげて泣いた。悲しいからか、U君を憐れんでか、友人を亡くした自分を憐れんでいるのか訳も分からず泣いた。
葬式がU君の家であった。仏壇がU君の部屋に置かれ、天井にはバイクのポスターが何枚も貼られていた。それを見ながら、デビッド・ボウイの写真は無いなぁとぼんやり思った。
それからU君はお墓のすぐ横にある小さな火葬場で焼かれて煙になった。煙は意外なほど少なく、曇り空に紛れて消えていった。
僕はこれまで何度も空を見上げてきた。
そして、これからもきっと空を見つめ続けるのだろう。