りか ―先生の思い出―
小学四年生のときだった。国語や算数はもちろんのこと体育から音楽まで担任の先生が授業を担当してくださったのだが、理科だけ別の先生が教えてくださった。H先生というベテランの女性の先生だった。先生はとても厳しい先生だった。ぼくたちにとって非常に怖い先生だったが、同時に僕たち生徒は先生に褒められたくて仕方がなかった。先生は怒るときも褒めるときも、どうして怒ったのか、褒めたのか理由が分かるように説明したあと、一生懸命に怒ったり、褒めたりしてくれた。だから生徒達は先生のおっしゃられることをきっちりと聞いた。
H先生には大人になった今の自分から考えると少し不思議な教育指針があった。それは「ごめんなさい」と言ったらだめだというものだった。どうやら安易に謝るようなことはしないようにしろという考えからの指導だったのだろうが、子供の社会においても「ごめんなさい」が言えないというのはしんどかった。そこで、僕たちはどうしても謝らなくてはいけないときは「ごめん」の代わりに「めんご」と言った。それはH先生も黙認してくださった。
ある時だった。先生が教室の後ろにあったロッカーの台の上に実験器具を並べた。どういった実験だったかは忘れてしまったのだが、時間がかかる実験だったようで、その変化を休み時間ごとに観察しなさいというような趣旨だった。先生が実験器具を設置された場所はたまたま、僕がランドセルを出し入れするロッカーの上にあった。家に帰ろうとランドセルをいつものように引き出したとき、器材が何かにひっかかった。そして、器材は床に落下し、、粉々に割れてしまった。僕は顔面蒼白となった。先生の逆鱗にふれる。僕は泣きそうになりながら、箒で粉々になったガラス器具を塵取りに集めた。同級生もおろおろとして、『どうしよう。』と慌てていた。とにかく謝りに行くよと僕は職員室にH先生を探しにいったが、その日に限って先生がお休みだと言われた。明日、理科の授業があるからその時、謝ろうと思った。
翌日の理科の授業だった。始業の挨拶が終わり、僕は俯きながら手を上げた。先生の目を見るのが怖かった。その時だった。突然、僕以外のクラスの全員が立ち上がって
「ごめんなさい。」
と言った。僕は驚いた。H先生も何があったのか、怪訝な顔をしておられた。僕はようやく立ち上がり、事情を説明した。先生は僕を厳しく睨み付けると、注意散漫だと短くしかられた。クラスのみんなが謝ってくれたおかげか、自分が恐れていたほどは怒られなかった。
H先生の理科の試験の問題はいつも難しかった。先生は点数がよければ大きく試験用紙の真ん中に点数を書いてくださった。僕は理科がもともと大好きで、先生の授業も面白かったので、一生懸命勉強した。そして、大概、大きな字で点数を書いていただくことができた。
4年生の最後の理科の試験だったと思う。理由を書けという問題の答えが名詞で終わっているということで減点された。間違えたのはそれだけだった。答案用紙を返されたとき、100点じゃなかったことに悔しそうな顔をしている僕に
「理由を尋ねられた時は『何々だから。』と答えを書くように。」
と先生はおっしゃった。そして、
「あなたは理由をどんどん見つけていく人にならなくてはいけないから。」
といつもと違う優しい声で付け加えられた。
小学校を卒業してから、H先生とは一度もお会いしていない。お元気かどうかも分からない。大人になった今、『ごめんなさい。』はやっぱり必要な言葉だ。でも確かにできるだけそう言わずにすむように生きたほうがいいだろう。
そして『ありがとう。』と先生に言いたい。先生に理科を教えていただいたことが唯一の理由ではないが、科学に興味をもち、科学者になることができた。自然の中の不思議について毎日考え、『どんどん』とは言わないが少しずつその理由を見つける人になった。そして、自分はそうした自分の仕事が愛おしいと思う。今の自分があるのもH先生に負うところが少なくないと思う。
H先生のことが懐かしくて仕方がない。
そして、こんなことを考えるのは恥ずかしいのだけど、研究者として自分なりに頑張っている今の自分をH先生に少しでいいから褒めてほしいなと思ったりする。