まち ―散髪屋さんのみた街の変化―
いきつけの散髪屋で髪を切ってもらった。古くからある散髪屋でご主人はかなりの高齢だ。ご主人は髪の毛を切っている間、いろいろと話かけてくる。僕も話をするのが好きなのでいつも楽しく、いろんなことを語り合う。どういった話の流れか街が変わったという話をしていたら、街が大きく変わる契機となったのは道路がアスファルトで舗装された時だとご主人はつぶやくように言った。道をアスファルトで固めることは車の行き来を容易にし、雨の日も靴やズボンを汚さなくていい。しかし、砂利道が少なくなるとともに人情も薄くなってきたような気がするとご主人はため息をついた。
人情と舗装に関係性があるのかどうか、どうして散髪屋のご主人がそんなふうに感じたのかは僕にはよく分からない。アスファルトで舗装された道は街の風景を変え、街を整然とさせ、暖かみを感じさせにくくなったのかもしれない。
アスファルトによる舗装が環境に影響を与えることがいくつか知られている。雨水が地中にしみこみにくくなり、井戸が枯れたという事例を耳にしたことがある。また、夏の直射日光を浴びて、アスファルトから揮発性の有害物質が出て、大気を汚染しているという報告が最近あった。
僕の家の前の道は確かに僕が子供のころ砂利道だった。そして、バキュームカーが屎尿を家に取りに来ていた。
その頃と今ではいろいろなことが変わった。確かに街は便利で楽できれいになった。それは素晴らしいことのはずなのだけど、どこか気持ちが悪いと散髪屋さんは感じているようだ。 きれいな世界はなんだか窮屈だ。砂利からアスファルトへの変化の中でいろんなものが固められて生きにくい世界ができてしまったのかもしれない。