ちょうおんぱ ―残存するもの―
僕の通っていた高校には一癖も二癖もあるユニークな先生が何名かおられた。どの先生も印象深かったが、なかでも保健体育の授業を担当してくださったI先生のことは忘れられない。
こういうとたいへん失礼なのだが、I先生は骨と皮だけという表現がぴったりくるような痩身で、お年を召された大ベテランの先生だった。僕は先生の授業が大好きだった。脱水症状についての授業ではご自身の体験例をお話しくださったのをよく覚えている。先生は脱水症状がどのようなものか一度、体験されたいと考えられた。そこで、炎天下に自転車に乗って、ひたすら水を飲まずに突き進むという暴挙に出られたのだ。最初は快適にペダルをこいでいたのだが、のどが渇き、その渇きが我慢できなくなってきたかと思うとだんだん頭がぼっとしてきて、ついには視界が白く濁ってきて、最後には自転車ごとパタンと倒れられたという。そのとき「あぁ、これが脱水症状か。」としみじみ思ったそうだ。危険なので真似をしないようにと注意されていたが、誰が真似をするというのだろうか。
先生のお話はどれもどこかおかしく不思議だった。
いろいろとしてくださったお話のなかでも僕がとくに好きな話はおしっこの話だ。どういう話の流れでその話をはじめられたのか全く忘れたのだが、いつもと少し違う口調で優しく話された。
「生きているといろいろとつらいことがあります。つらくて消えてしまいたいという時もあるでしょう。そういった時、ぜひおしっこを手にかけてください。おしっこはきっとあなたが思っているより温かいものです。その温もりを感じて、あぁ自分は生きているのだなあと生きている実感というものを感じてください。そうするときっとまた生きてみようと思えるのではないかと思います。」
幸い、今のところ僕は先生のご助言に従わなくてはならないような機会を持っていないが、少し苦しいなあと思うたびに先生のこの話が頭に浮かんでくる。そして、もし自分がどうしようもなくつらくなったらおしっこを手にかけてみようと考えている。
こうしたI先生の話は、おそらく一生、僕の頭の中に残り続けるのだろうと思う。
残り続けるものというものは、環境汚染の世界では嫌われ者が多い。環境中に残存性の高い物質は生物の食物連鎖(食う・食われるの動物の関係からなる生態系の構造)において生物濃縮(食物連鎖の上位者、つまりその生態系において食べられることが少ない動物ほど、より高濃度に蓄積する。)という現象を引き起こしやすい。また、生物の体内でもずっと残ってしまい、どんどん蓄積され、その結果、有害な影響を及ぼす可能性がある。こうした残存性の高い環境汚染物質にはPCB(ポリ塩素化ビフェニル)、ダイオキシンあるいは農薬のp,p’-DDTなどが挙げられる。毒性の高さから、こうした物質はPOPs(残存性有機汚染物質)として、国際的にその製造、使用に禁止あるいは制限といった規則が定められている。
ここではPFOA(パーフルオロオクタン酸)・PFOS(パーフルオロオクタンスルホン酸)という物質を紹介したいと思う(このうちPFOSはPOPsとして登録されている)。
有機化合物というものは基本的に炭素と炭素が結合に結ばれ、炭素に水素や酸素あるいは窒素が結合して形成されている物質が多い。一方、PFOAとPFOSは炭素の鎖にフッ素が数多く結合した構造をしている。PFOAやPFOSは、水も油もはじき、しかも燃えにくいという独特な特徴を持っている。こうした性質を利用して食品を包む袋のコーティング剤や消火剤、建材などいろいろな製品に広く用いられてきた。
PFOA、PFOSの構造はフライパンのコーティング剤としても知られるテフロンの構造と似ていて、熱にも強く、非常に分解しにくい。そして、環境中に放出されても微生物による分解をほとんど受けない。分解しにくいということは生物の体内で残存する可能性があるということを意味する。
1999年、PFOSを製造していた工場の労働者の血液中からPFOSが高濃度で検出されたことが公表された。そこで、その会社は2002年にPFOSの製造を中止した。慌てて環境研究者たちはPFOSの環境中における濃度を調べはじめた。すると2001年の報告で,米国の一般人の血清中でPFOSは平均28.4 ng/ml、PFOAは平均6.4 ng/ml存在しているということが明らかになった。おそらくこの文を読んでおられるみなさんの血中からもこれらの物質は微量であろうが、検出される可能性が高い。また、ホッキョクグマをはじめとする世界各地の生物の血中からも検出された。PCBsやダイオキシンといった物質は体内でも脂肪組織に多く存在していたが、PFOSやPFOAは血中のタンパク質と相互作用し、血中に存在していることが多いということが分かった。さらに、PFOS・PFOAが動物に対し様々な毒性を有しているという報告例がいくつか出された。ラット子宮へのPFOSの投与試験で、胎児、母体への影響、新生児の生存率の低下が示された。また、ヒトの臍帯血中のPFOSの濃度が高いほど体重の低い胎児が生まれるという傾向があることも報告された。しかし、ヒトへの毒性は現段階で不確かな部分が多く、その危険性を評価するのが困難な状況である。とにかく環境中のレベルを低くしなくてはいけないということで、POPs条約によりPFOSの製造、使用の制限を国際的に設定された。その成果もあり、環境中のPFOS濃度は減少傾向にある。しかし、PFOA、PFOSはほとんど分解されない物質である。環境中の総量の増加はほぼ止まったとしてもほとんど減少はしない。すなわち、環境中にゆっくりと一様に広がっているという状況だと考えられる。それらのリスクから人間や野生生物は逃れられたというわけではないようだ。
それにしても、どういった経緯をたどり我々の血中にPFOSはやってきたのだろう?一番、考えられるストーリーは以下のようなものだ。パーフルオロ化合物の製造工場あるいはパーフルオロ化合物を使った製品からPFOA、PFOSが環境中に放出される。とくにPFOA、PFOSは水によく溶けるので下水などから河川水へ移動する。実際、各地の河川水からパーフルオロ化合物が検出されている。次に、その河川水を水源とした浄水場へと行く。浄水場では水道水を作るために水の浄化作業を行うが、PFOA、PFOSは分解性が低く、そのまま水道水の中に溶けたまま家庭に送られる。その水道水を飲んだヒトの体内に少しずつ蓄積される。
おそらく、こうした経路で私達の体内にPFOAやPFOSがやってきたと思われる。他に経路は無いだろうか?僕と関西大学の荒川先生の研究グループが考えたのは、もっと身の回りから、例えば家の部屋の中で飛んでいるホコリなどからも私達はPFOAやPFOSを体内に取り込んでしまっているのではないかということだった。PFOSは撥水加工のためにカーペットに用いられていたり、ワックスなどにも使われてきたりした経緯がある。身の回りのPFOAやPFOSの濃度を調べるためにどのような調査を行えばいいだろう?僕たちが使ったのは掃除機のゴミパックだった。日本人の家の多くは土足厳禁である。すなわち掃除機で吸い取ったゴミの多くは家の中から生じたものだと考えられる。ゴミパックのゴミを分析すれば、身の回りに存在している化学物質の量を推定できるのではないか?そう考えたのだった。そこで、知り合いや学生のみなさんの家からゴミパックを持ってきていただき、その中のゴミからPFOA、PFOSを抽出し、分析した。結果、測定を行った16のゴミパックすべてからPFOAとPFOSが検出された。 最も濃度が高かった試料は床をフローリングしたお家でワックスがけを行ってすぐだった。この結果から、私達の生活している身近な環境にもPFOAやPFOSが存在していることが明らかとなった。また、私達はPFOAやPFOSを部屋の中に漂っているホコリ(ハウスダストと呼ばれるときもある。)を吸い込むことにより体内に取り込んでいる可能性があることも分かった。ただ、この結果は実験を行った2004年当時の状況であり、規制が進んだ現在では、そのレベルや検出の頻度は下がっているだろうと考えられる。
PFOAやPFOSは分解性が低いことは前述した。これらの物質を分解する手法を確立しない限り、一度、環境中に放出されたこれら物質は環境のどこかで長時間存在し続けることとなる。PFOAやPFOSの生物に対するリスクを減らすためにはその分解法を開発することが非常に重要だ。
ある日、先輩の研究者から紹介したい研究者がいるから会ってくれと言われ、ある研究者と話す機会を得た。紹介されたのは大阪府立大学の興津先生だった。興津先生は超音波反応の専門家だと言う。先生から超音波の持つ力についていろいろとお話を聞いているうちに、PFOAやPFOSを超音波で分解することができるのではないかと思った(先生は「超音波を使えばたいがいのものは分解できる。」と自信満々だった。)。そこで、興津先生と共同研究を行い、PFOAとPFOSを分解するという検討を行うことになった。興津先生にPFOAとPFOSの水溶液に超音波を照射してもらい、照射後の溶液を僕が分析するという分担作業を行い、研究を進めた。結果はすぐに出た。PFOAもPFOSも超音波を照射することにより分解が起こったのである。(ただし、眼鏡屋さんにあるような洗浄用の超音波装置で超音波を照射してもほとんど反応は進行しない。しっかりと強い超音波を照射する必要がある。)反応も炭素鎖が次々と短くなっていくという面白いもので、効率も悪くなかった。PFOSを効率よく分解する手法は現在もあまりなく、超音波を照射するだけというこの方法は非常にシンプルで意味のある手法だと自負している。
パーフルオロ化合物の汚染については現在も様々な角度で研究が進んでいる。PFOSの規制が進んだことでパーフルオロ鎖の長さがPFOSと異なる物質が環境から頻繁に検出されるようになり、産業と規制のイタチごっこのような様相が見える部分もある。ヒトに対する毒性についてはよくわからない点があるままであり、危険性を評価することが現状でも困難である。こうした現状を踏まえ、今後もパーフルオロ化合物の環境汚染については注視していく必要があるだろう。
話は変わるが、あるハイキングコースを歩いたときのことだ。冬で雪が積もっていた。おなかが痛くなり、仕方なく、コースを外れ、木の下で用を足した。しっかりとした形の便が出て少しほっとした。お尻をティッシュでふいて、そのティッシュを上に乗せて失礼しようと振り返った時、驚いた。便がその温もりで雪を溶かし、どんどんと下のほうに沈んでいるのだ。僕は自分が生きているのだと実感した。 I先生のお話が消えずに僕の頭の中にしっかりと残っている。そのことを再確認した瞬間でもあった。