かんじ ―自然と向き合うということ―
漢字辞典でどの部首の漢字が多いか数えてみた。僕が調べたところ、『さんずい』の漢字は『きへん』の漢字についで二番目に多かった。『さんずい』を部首とした漢字が多いということは人間と水の関係の深さを示しているのだろう。
政治の〝治‟という字がサンズイであることは古来より水を治めることが為政者にとって重要な政事であったことを意味しているのかもしれない。戦国武将の武田信玄は治水対策に力を入れた人物だと言われている。信玄堤と呼ばれる堤防が今も山梨県を中心に残っている。それは川の流れ全体を読んで被害を最小限に食い止めるために、水を堤防で完全に氾濫を抑えるという考え方ではなく、水の逃げ場を作るという発想で設計されたものだという。川の流れを完全にコントロールすることなんかできない。それならばどうするべきか?そうした課題に向き合いながら、智慧をしぼって武田信玄は堤を作ったのだろう。
このところ毎年のように日本で豪雨災害が起こっている。気候の変化から、こうした自然災害が激甚化していると言われている。現在においても治水は行政にとって重要な課題であると言えるだろう。
治水は難しい。どのレベルの大雨に備えるべきかという点からして答えを出すのは困難だろう。川に大規模で頑丈な堤防を設置して、大雨に備えようとしても、そのためには大規模な工事が求められ、莫大なお金を費やす必要が出てくる。
武田信玄の時代と比較して、現在は土木技術がかなり進歩していると思われる。そうした現在においても、大規模な豪雨災害が起こっているということは自然というものを人類がコントロールすることが困難であるということの証拠なのだろう。激甚な自然災害は、自然が牙をむいたときに人間の技術や知識では太刀打ちできない部分があるということを如実に僕たちに示す。それでは、稀にやってくるそうした事態に僕らは指を咥えて茫然と立ち尽くすしかないのだろうか?そんなことはないはずだ。
まず、ある一定レベルの集中豪雨には耐えられるようにしておくことが、社会の安定にとっては重要だろう。そのレベルを可能なかぎり上げる努力は必要だと考えられる。しかし、そのレベル以上の予想を超えるような降雨に対して、我々はどのようにして向き合えばいいのだろうか?僕は次のように考える。
集中豪雨がコントロールできる範囲を超えた場合に、各地域にどのような被害が出るかをシミュレーションしたうえで、それを行政が示し、説明し、それを地域の住民がきっちりと把握することがまず大切だろう。そうしたうえで、そのような事態が起こった場合、命や財産を守るためにどのような行動をとるべきなのか、住民の間で共通の認識を持っておくことが重要だ。そして現実に災害がやってきたとき、その行動規範に則って、自分の命を守る。さらに、被害が出たところではどのように復興するのかというところまで、あらかじめ考えておく。災害に備えるということはそういうことだと思う。
我々は自然をコントロールしようと向き合っていくばかりではなく、自然とよりそう方法を学ぶ必要があるのではないか?
『さんずい』の漢字が多いということはそういうことも意味しているように僕には思える。