み ―海とプラスチックと青春と―


 学生時代、夏になると友人と連れ立って海へと向かった。夏のビーチは気持ちが浮き立つ独特の雰囲気があって、その雰囲気に誘われるかのように飽きもせず海へと出かけた。
 四国のほうの海水浴場に行ったときのことだ。泳いでいるとエビが群れを成して泳いでいるのが見える。海水浴の最中にそんな大量のエビを見たことがなく僕らは興奮して泳いでいた。しかし、一人だけ「エビなんていない。」とエビを見つけることができなかった仲間がいた。僕らがエビにも飽きて、泳ぎ疲れて浜辺で休憩している間もその友人は懸命にエビを見つけるべく海のあちこちを泳いでいたが、全然見つからない。ついに諦めて首をかしげつつ、腰に手をあて、海からあがってきた。
ふと見ると彼の脇毛に結構な大きさのエビがハサミを絡めてぶら下がっていた。
 近年、海について環境分野で注目を集めているのが微小なサイズのプラスチック、マイクロプラスチックによる汚染である。マイクロプラスチックとは環境中にゴミなどとして出されたプラスチックが太陽光や波などの自然の働きにより、細かくなることにより発生した5 mm以下のプラスチック断片を言う。プラスチックは環境において生物などによる分解を受けにくいことから、海水あるいは海底の泥(底質)に残存し、一方で環境中に放出されるプラスチックゴミは減らないことから、その数をどんどんと増やしていると考えられている。
 実際、海や川などにプラスチックのゴミが浮遊しているのを見たことがある人も多いだろう。僕も兵庫県の須磨の砂浜で息子とプラスチックゴミを拾い集めたところ、1時間もたたないうちに種々のプラスチックを採集することができた。世界経済フォーラムは2050年までには海中のプラスチックの量が世界中の魚の重量を超えると予想している。こうしたプラスチックのゴミが細かくなることでさらに数を増やし、環境中に拡散し、生物がそれを取り込むことにより、何らかの影響が出ることを危惧する研究者も少なくない。プラスチックは化学的に安定であり、体内の酵素などにより分解され、吸収されることも無いと考えられるので、そのほとんどは便として体外に排出されると考えられる。しかし、水環境中の汚染物質を表面に吸着することにより、汚染物質の媒介者としての役割を担う危険性がある。また、身体のサイズが小さい生物にとっては、体内に取り込んだマイクロプラスチックが消化器官などを詰まらせる可能性もあり、その生体影響についても慎重な検討が必要とされている。
 信州大学繊維学部の秋山先生は水中に分散したマイクロプラスチックを『音』をうまく利用して集めることができるのではないかと思いつかれた。「音でプラスチックを集める」と言われてもピンと来ないが、音響泳動力という音の波としての力をうまく利用すればプラスチックを水の流れの中で収束できるという。
 この方法がすぐに海のプラスチック汚染の改善につながるかというと、マイクロプラスチックを集めることができる水の量の規模が非常に小さいことから、現段階では困難である(マイクロプラスチックの分析のために濃縮する機材としては現段階でも利用できると考えられる。)。しかし、これまでマイクロプラスチックを採集するために手段としてろ過(環境水をろ過すると時間がかかるうえに根詰まりが起こり、効率がよくない。)くらいしかなかった状況を打ち破る興味深い手法であり、今後、この技術の発展および応用が期待される。
 さて、学生時代に話を戻そう。その夏も僕は友人達と連れ立って、海に来ていた。泳いだ後、テントを立てて、浜辺でたき火をして地元の刺身をつまみにお酒を飲もうという何とも贅沢な時間を過ごそうとしていた。どこにテントを立てようかということになり、夜になると周囲が真っ暗になるので、浜辺のすみっこのほうにあった公衆電話ボックスの光がぼんやりと届く場所にテントを設置することにした。テントを設営し、たき火の準備も順調に進んだ。太陽が落ち、テントの周辺が暗くなってきた頃、仲間の一人が「彼女に電話をしてくる。」と電話ボックスに入っていった。僕たちは宴会の準備を続け、近くの魚屋さんから調達した刺身をならべたりしていた。彼が電話ボックスに入ってしばらくして、電話ボックスの中から叫び声が漏れ聞こえてきた。
「おまえしかおらへんのや。」
僕らは割り箸や皿を配る手を止めて思わず電話ボックスのほうに目をやった。電話ボックスの光の中に友人の姿がぼんやりと浮かんでいた。それからまもなくしてピーピーピーとテレフォンカードが返却される音が成り響いた。
 電話を終えた友人はずかずかと戻ってきて、準備した刺身の横に盛っていたワサビの山をいきなり箸でつまみ、口にほりこんだ。そして、
「このワサビよく効くわ。」
と言ったかと思うと、ポロポロと涙をこぼした。それから僕らは黙って、海を走る船の灯りやたき火を見つめながら酒を飲み続けた。
 今も海はいろんな青春の喜びや悲しみを静かに見ているのだろう。
 きっとだから人は海を前にすると、いろいろなことを想う。
 そんな海にプラスチックのゴミは似合わないと僕は思ったりする。