あぶら ―カイコの繭で環境浄化―
今から10年以上前の話になる。お世話になった大阪にある研究所を退職し、大学に転職することになった。誰ひとりとして知り合いのない場所で仕事を進めていくのは不安が無かったと言えばウソになるが、それよりも期待と希望に満ちていた。心機一転。まさにそんな感じだった。僕が転職したのは長野県上田市にある信州大学繊維学部だった。日本で現存する唯一の繊維学部であり、蚕糸専門学校として設立して以来100年以上の歴史を持っている。前身が蚕糸専門学校ということもあり、現在もカイコの研究者がいる(なお、カイコは実験動物として近年、非常に注目を集めている。飼育および継代の方法が確立されており、成長段階を追いやすいという大きな利点があるからだ。)。
転職した僕を待っていたのは一人の学生Yさんと古ぼけた実験室だった。
Yさんはその年、大学の四年生になり、卒業研究を始めることになっていた。彼女は研究室を選ぶにあたって、新しく来る先生が環境の研究者であるということを聞き、環境の研究をしてみようと考えたらしい。どんな人物が自分を指導することになるかも分からないまま、僕を指導教官として選んだそうだ。少しワクワクして待っていると大阪弁をまくし立てるように話す人(僕のことだが、、、、、)が来たので最初はかなり面くらったそうだ。
大学の建物の改装が近いこともあって僕にあてがわれた実験室はひどく古びていた。研究を始めるにあたり、僕とYさんの最初の仕事はその実験室の窓になぜか貼られたアルミホイルをはがすことだった。前にその部屋を使っていた人が実験のために遮光する必要があったらしく、アルミホイルがガラス窓に直接、接着剤で貼りつけられていた。一週間くらいかけ、僕とYさんはもくもくとアルミホイルをはがし続けた。その作業が一段落し、次に研究テーマをなんとか設定し、いざ実験をしようとすると、今度は部屋の中にあった実験台の天板がきっちりと固定されておらず、危険で実験できなかった。電子天秤も無く、それを買う研究資金も無く、とうてい実験ができる環境でなかったが、まわりの研究室にいろいろとお借りしながら、Yさんは僕の指導のもと、なんとか卒業研究を進めていった。Yさんは大変な努力家であり、勉強家でもあった。環境の研究の基礎やバックグランドをスポンジのように吸い取り、自分のものとしていった。
Yさんとともにばたばたと何とか研究を進めているうちに研究資金も少しずつ手にすることができ、徐々ではあるが研究できる体制が整ってきた。研究成果もいくつか出てきた。Yさんの協力で得られた成果がほとんどだった。Yさんは卒業研究を無事に仕上げ、大学院に進学し、僕との研究を続けることになった。そのタイミングで校舎の改修が始まることになり、ぼろぼろの実験室とも別れを告げることになった。そして、研究室にYさんの後輩となる学生が入ってきた。急ににぎやかになった僕の研究室で彼女は嬉しそうに後輩たちに実験の手順を教えていた。
そのころになると、少し仕事にも慣れてきた僕は研究の幅を広げようと考え、繊維学部らしい新しいテーマに取り組もうと考えていた。以前、僕が繊維学部に転職することを知った友人の弟さんから養蚕業の廃棄物である汚れたり穴が開いたりした繭、いわゆる『くず繭』というものがあり、その有効利用について考えてみてはどうかと提案がされたことがあった。そこで、カイコの研究をされている同僚の先生に汚れていらなくなった繭があったらほしいとお願いした。するとその先生はすぐに大量のくず繭をプレゼントしてくださった。
僕はそれまでカイコの繭をじっくりと見たり、触れたりしてこなかった。何しろ、繊維学部に転職して、はじめて実際にカイコやカイコの繭を見たのだ。いただいたゴミ袋に入れられた大量のくず繭を前にして、何をしたらいいだろうと少し呆然とした。とりあえずくず繭に水をかけてみた。すると面白いくらい水をはじく。考えてみるとそれは当たり前なのかもしれない。もともとカイコも戸外の桑の木に繭を作っていたのだろう。繭に雨が降りかかったときに繭が水を吸い込むのだと中が水でドボドボになってしまい、中の蛹は大変、過ごしにくいことになるだろう。繭が水をはじくということはきっとカイコにとって必要な物性であったに違いない。
さて、水をはじくということはどういうことか考えてみた。水と油は反対の性質を持つことが多い。すなわち、水をはじくならば油を吸うだろう。それならば、このくず繭は油を吸う材料として使えるのではないか?そんなことを思いついた。
様々な環境問題が人類共通の課題として、さかんに取り上げられ、議論されている。なかでも水の問題は感染症など健康に直接的に関わることなので、非常に重要だ。世界保健機構(WHO) によると安全な水へのアクセスが困難な人々が世界には現在も多数おり、とくに子供たちに大きな健康被害が出ているという。こうした中、近年は、とくに環境に悪影響を与えにくい生物由来の材料を利用した水の浄化法の開発に注目が集まっている。
水環境の汚染を考えるうえで、油による汚染の件数というものは少なくない。タンカーの座礁、工場からの油の漏えい、あるいは戦争による油田の破壊など油による環境汚染事例はたくさん挙げることができる。油によって汚染された水環境は野生生物にさまざまな悪影響を及ぼす。例えば水鳥はその羽に油がしみこんでしまい、動きがとれなくなり、死んでしまうことがある。それゆえ、環境水中に流出した油を回収する技術は重要である。水環境から油を除去する油の吸着剤として従来、ポリプロピレンなどの人間が合成することにより作られた高分子(合成高分子)が油吸着剤として広く用いられてきた。しかし、合成高分子は環境に残存しやすく、それ自体が環境に悪影響を及ぼす可能性がある。
植物やカイコなどの虫が作り出す生物由来の繊維、バイオファイバーは一般的に環境中に放置しておくとそれを分解する微生物(バクテリア)が存在しており(「生分解性がある」と言う。)、油吸着剤として使用した際に環境中に残ってしまったとしても環境に与える悪影響は小さいと考えられる。そのためバイオファイバーを油吸着剤として用いる試みがさかんに行われている。それならば、水をはじくカイコの繭も油吸着剤としてどの程度、利用できるか検討してみよう。そう考えたのだ。
カイコの繭はカイコがぴしっとタイトに繭を作っているので表面積が小さい。油を吸わせるためにはできるだけ表面積を大きくし、吸った油を保持する隙間を確保しなくてはいけない。そこで、私とKさんと新しく加わった学生さんとで、くず繭をはさみで黙々と細かく切り刻み、それをミルという刃がぐるぐると回転することにより、物質を細かくする機械に入れた。するとくず繭が綿状になった。
あとはこのくず繭から作った綿状の材料を、水をはったビーカーに注いだ油(水の層の上に油の層ができる。ちなみに油は料理に使う植物油あるいは車のオイルを使った。)の上に乗せて、本当にくず繭が油を吸うのかどうか検討すればいい。まさにその検討をはじめようというタイミングで講義に行かなくてはならない時間になった。Kさんをはじめとする研究室の学生のメンバーにくず繭が油を吸うのか検討しておいてくれと頼み、講義に向かった。講義が終わり、実験室に走るようにして戻り、「どうだった?」と尋ねると「はい。油どんどん吸いますよ。」といつものクールな口調でYさんが答えた。
くず繭は確かに油を吸った。それも効率よく、勢いよく油を吸うことが分かった。油の上に置くと、みるみるうちに油がくず繭の綿の中に吸い込まれていく。気持ちがいいほどだった。検討を進めていくと、1 gのくず繭が40-50 gの油を吸う能力があることが分かった。これはそれまで報告されていた合成高分子やバイオファイバーと比べても高い値だった。おそらくカイコの糸(シルク)表面に存在しているワックス成分、ならびにシルクの微細な構造が油に対する高い吸着性に寄与しているのだろう。さらにくず繭から作った綿に油を吸わせた後、それをしぼると油が回収できるし、しぼった綿を手でほぐすと、また油吸着剤として再利用できることも分かった。
これらの研究成果をまとめて論文として発表した。この研究は非常に評判がよく、講演をよく頼まれた。実際に簡単に目の前で材料が油を吸い取る現象を見せることができるので、説得力がある。説明がうまくできなくても、まぁご覧くださいとばかりに油がどんどんとくず繭に吸われていくのを見せればいいのだ。
ある時、英語でこの研究の講演をしてくれと依頼があった。僕はイギリスで一年間、留学したことがあるにも関わらず非常に英語で話すのが苦手だ。しかし、この研究では英語の発音がめちゃくちゃでもとりあえず実演すればみんな納得してくれるだろう。そう思い、引き受けた。原稿を作るのに悪戦苦闘したが、つたない英語でなんとか講演を終えた。もちろんくず繭が油を吸う実演も行った。なんとか理解してもらえたかなとほっとしていると、司会者が講演の質問を受け付けると言った。一人の研究者が立ち上がり、ものすごい剣幕で英語を話し始めた。何を彼が言っているのか全く聞き取れず、冷や汗が脇の下をたらーっと流れるのを感じていた。しかし、どうやら質問というより、僕の研究を褒めてくれているようだったので、「ありがとう。これからも頑張っていきたい。」というようなことを言って、その場をごまかした。講演会が終わった後、質問をしてくれた研究者のもとに行き、「何を言っていたのかもう一度ゆっくり言ってくれないか?」と恥をしのんで頼んだ。彼は「喜んで!」と今度は本当にゆっくりと話してくれた。
彼は環境の状況がよくない貧しいとされている国から環境改善のための技術を学ぶために日本を訪れていた。いろいろな環境浄化手法を日本で学んだが、貧困のために教育も行き届いていない彼の国では、水を浄化する機械を使いこなせる人材があまりいない。さらに機械が故障したら、もうメンテナンスができない。水の浄化技術は喫緊に必要なのだが、ハイテクノロジーを用いた浄化手法は適さないと考えていたそうだ。そこで、僕のこのくず繭による油の除去法を聞いた。これなら自分の国でも使える。そのように思ったという。これからもこのような簡単ないわばLow technologyの浄化手法をどんどんと開発してくれ。彼はそのように僕に熱く説明してくれ、握手を求めてきた。
環境問題というのは社会と深く関係がある。環境問題に苦しんでいる社会にフィットした環境浄化手法を開発することが非常に重要だ。問題は汚染現場で起こっているのだ。そうしたことに改めて気づかされた。
くず繭の研究以外にもYさんの研究成果は彼女が大学院に入っても着々と積み上げられていった。僕の研究室の基盤となるような研究をいくつもしてくれた。そして、彼女も大学院を卒業する日を迎えた。
大学の先生をやっていて一番、複雑な気持ちになるのが卒業式の日だ。ずっと一緒に研究をしてきた学生諸氏がその日を境に社会に旅立ち、もう一緒に研究をするという機会はほとんどなくなる。それどころかめったに会うことすらなくなる。さみしい気持ちではあるが、社会に出て、これから大活躍するだろうと思うと頼もしく感じるし、自分も学生の成長に少しは寄与できたのかなあと考えたりする。Yさんは僕にとって最初に研究室で指導した学生だということで特にそういった思いは強かった。卒業式のためにきれいに着飾ったYさんが卒業証書を受け取るのを眩しく感じながら見ていた。
卒業式の翌日、Yさんがひとりで僕の部屋にきた。「どうしたの?」と尋ねると、
「昨日、卒業式のばたばたでお礼がきっちりと言えなくて。」とぼそぼそと言ったかと思うと、突然、
「本当にありがとうございました。」
と言いながら頭を深々と下げた。
窓からアルミホイルをはがす作業を二人ではじめてから、三年間が経っていた。Yさんのおかげでなんとか仕事ができる環境になってきた。僕にとってもYさんにとっても決して楽な三年間では無かった。
なかなか頭をあげようとしないYさんを見て、僕は大学に転職して本当によかったと思った。